帝国ホテル建築物語本無料ダウンロード
帝国ホテル建築物語
によって 植松三十里
3.7 5つ星のうち(7人の読者)
帝国ホテル建築物語本無料ダウンロード - 内容紹介 「かたちあるものは必ず滅す。しかし、かたちを成すために命をかけた人々の志は、本書によって神々しく蘇る」阿川佐和子氏推薦! 帝国ホテルライト館建築をめぐる熱き男たちの物語 世界的建築家、フランク・ロイド・ライトの飽くなきこだわり、経営陣の追及…… それでも彼らは諦めなかった! そして関東大震災が―― 1923年(大正12年)に完成した帝国ホテル2代目本館、通称「ライト館」。 「東洋の宝石」と称えられたこの建物を手掛けたのは、20世紀を代表する米国人建築家、フランク・ロイド・ライトだった。 明治末期、世界へと開かれた日本において相応しい迎賓館が必要だと気づいた大倉喜八郎と渋沢栄一が、ニューヨークで古美術商として働いていた林愛作を帝国ホテル支配人として招聘したことから、このプロジェクトは始まった。 しかし、ライト館完成までの道のりは、想像を絶する困難なものだった――。 ライト館の建築に懸けた男たちの熱い闘いを描いた、著者渾身の長編小説。 内容(「BOOK」データベースより) 1923年(大正12年)に完成した帝国ホテル2代目本館、通称「ライト館」。「東洋の宝石」と称えられたこの建物を手掛けたのは、20世紀を代表する米国人建築家、フランク・ロイド・ライトだった。世界へと開かれた日本において、迎賓館の役割を果たしていた帝国ホテル。そのさらなる進歩を目指す大倉喜八郎と渋沢栄一が、明治末期、アメリカで古美術商として働いていた林愛作を帝国ホテル支配人として招聘したことから、このプロジェクトは始まった。しかし、ライト館完成までの道のりは、想像を絶する困難なものだった―。ライト館の建築にかけた男たちの熱い闘いを描いた、著者渾身の長編小説。 著者について 作家 著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より) 植松/三十里 静岡市出身。東京女子大学史学科卒業。出版社勤務、7年間の在米生活、建築都市デザイン事務所勤務などを経て、作家に。2003年に『桑港にて』で歴史文学賞、09年に『群青 日本海軍の礎を築いた男』で新田次郎文学賞、『彫残二人』(文庫化時に『命の版木』と改題)で中山義秀文学賞を受賞(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです) 続きを見る
帝国ホテル建築物語の詳細
本のタイトル : 帝国ホテル建築物語
作者 : 植松三十里
ISBN-10 : 4569842763
発売日 : 2019/4/10
カテゴリ : 本
ファイル名 : 帝国ホテル建築物語.pdf
ファイルサイズ : 25.5 (現在のサーバー速度は18.08 Mbpsです
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京都・長楽館の主のたばこ王、村井吉兵衛、京都・山中商会の創業者、山中定次郎、と、今も、京都の名建築も残る名士たちに見いだされ、林愛作が、帝国ホテルの支配人になり、フランク・ロイドライト、愛弟子の遠藤新、さらには、アントニン・レーモンド夫妻と、とライト館の創設に尽力するも、VIPの来日に合わせて、火災に見舞われ、初代帝国ホテルが焼失した時には、大倉喜八郎以下、役員の引責辞任、ライトは二度と戻ることの無い離日となり、遠藤新に、すべては、託される。この間にも、火災、地震も相次ぎ、遠藤新は、幼い長男も病死で別離となる。重役、職人たちの板挟みの中、紆余曲折での建設は長期化して、ようやく開業も、関東大震災に見舞われ、忽然と、ライト館は存在する。この時に、ライト館に携わった者の誇り高き職人魂が際立つ。空襲でも、比較的軽微に損害を受け、ライト館が存続したのは、アメリカ軍の戦後統治での活用のためともいわれ、戦中は、日米戦争で、敵国アメリカの設計士による、建物でもあり、その存在も、ライト館開業までの、遠藤新の板挟みの苦しみとも重なる。林愛作らが去った後、犬丸徹三が経営陣となり、ライト館が取り壊しになる際も、避難ごうごうとなる後世ではなく、ライト館の開業に携わった世代の手で、という信念で、名古屋鉄道も、会社の命運もかけて、事実上の建て替えとなる、ライト館の玄関部分の保存、移築に着手する。やがて、明治村の看板名所となることになる。常滑の石材が、ライト館創設でも調達先となり、移築の際も、常滑は重要な供給地でもあった。大谷石、自由学園まで、ライトにまつわるキーワードにも、重みを増す。林愛作、遠藤新の、リベンジともいえる、再登板は、甲子園ホテルで、再現される。ライトの建築物にも、世界遺産登録となる物件も出てきた。まさに、帝国ホテルをめぐるエピソードは、人間ドラマである。
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